いち銀行員の熱意が動かした事業の継承
――「楽楽の湯」はオープンして5年目ということなんですけれども、この施設を建てられた経緯を教えてください。
最初は、私が銀行の営業マンで、先代の代表はその担当先のオーナーさんだったんです。主に会社の経営関係ですとか、あるいは融資の申し込みで相談に乗る…といったかたちで関わらせていただいて、本当に数ある取引先のうちの1社という関係性でした。
――では、当初は先代の社長さんの事業だったということですか?
はい。先代の社長が、川場村で倒産した温泉を買いたいというところから始まって。当時の私もその相談を受け、地元の方からのアドバイスも頂いたりして、中古の温泉を買うのではなく、施設を新たに建てるという話になっていったんですね。私も、景色の良い川場村で、しかも川場田園プラザという道の駅のすぐ近くでやるということは大賛成ですとお伝えして、本格的に話が進んだという感じでした。そのうち、先代が患っていた病が進行して事業意欲も後退してきていたので、手を挙げて、「私が跡を継ぎます」と話をさせていただいたんです。
――先代の社長さんからすれば、当時銀行員である熊谷さんに会社を譲るということになったわけですよね。そこまでの信頼関係って、どのようにして築かれたんですか?
この事業を成功させたいということで、私もぜひ力になりたいという想いをずーっと語っていたからでしょうか。だんだんと温泉についても、いろいろな事業の計画についても、私の方が詳しくなってしまって(笑)。先代の代表からは、「熊谷さんは真面目だ」と言われたことが多かったんですが、私をそのように評価していただいていたから、「お前だったら任せられる」というようなお話をくださったのかもしれません。
――熊谷さんの人柄が信頼を得て事業を継がれたのですね。
ええ。ですが、やっぱり大きな決断だと思いますし、先代も決意が揺らぐことがあって、「あとはお前に任せたぞ」と言いながらも、次に会うときは「やっぱり考え直す」と言われたりとか、常に行ったり来たりの状況でしたね。
――いざ跡を継いで経営するとなった時、ご自身の心境には何か変化がありましたか?
そうですね。簡単に言うと「会社を背負わなくちゃいけない」というプレッシャーは、もう半端ないものがありました。
――会社を継ぐということについて、ご家族から反対されたりとかはなかったんですか?
家族にはもう自分で決めた後に報告をしたので、事後報告的なもので…。
もちろんその当時の同僚とか相談した人には10人いれば10人そろって反対されました。今のままでいいのではないかとよく言われて。なんですけど、逆に今のままというのが自分は嫌だったんです。
今では、恥ずかしながら趣味も仕事になっていまして。だからこの仕事を続けられるんだと思います。365日、今は夢の中まで仕事しちゃってますね。
真面目な印象の裏にひそむ大胆な行動力
――温泉だけじゃなく、今後は不動産関係や飲食業も…なんてお話もちらっと聞いたんですが、そんなふうに色々やろうと思う原動力というか、何か理由があるんですか?
そうですね…色々なものに対して興味が湧くと言いますか。自分が見聞きしたり触れたものが、すごく面白いなとか、食べておいしかったなとか思うと、なんだか自分がやってみたくなってしまうんですね。自分が受け身ではなくて提供する側になれたらいいなという思いが湧く、そういう性格なんでしょうか。
――熊谷さんは、すごく堅実な印象があったんです。話し方や表情などの動作でしょうか。でも強い行動力をもっていて、内に物凄く熱いものを秘めている印象も受けました。
付き合っている友人や知人にはよく言われます。「真面目そうな第一印象と違ったね」と。これは多分、昔から自分は頑固で、時に怒りっぽいところもあるんですけど、25年間の銀行員生活でだいぶ変えられたせいかなと思っています(笑)。うまくそれを皆さんに知られないようにしているだけであって、自分の中には強い意思というか、何かがあると常に感じています。
――だから、ただ人柄がいいというだけでなく、頼りがいがあるとか、自信がある印象を与えるのかもしれませんね。
ありがとうございます。
――逆に自分で自分のことを真面目だなと思うときってありますか?
自分ではあんまりないです。周りからは、名前も画数が多くて角張ってて堅いし、仕事も堅いし、で、性格も堅いよねって言われることが多かったんです。でも自分では、本当に全然角ばってはいなくて、「全然柔らかいけど!まん丸だよ!」って思ってます。
――前のご職業の銀行員というのも、将来設計においてすごく堅実な選択だったと思うんですけれども、勤めながらも独立意欲みたいなものがあったんですか?
私はもともと男3人兄弟の長男で、今は下の二人ともが会社を経営をしているんですけれども、そういった弟たちの姿を見ていましたし、いろいろな会社の経営者の方に触れ、自分に経営手腕があるかどうかは別として、自分もああいう社長になりたいな、と常に思っていました。
同時に、何となくですけど、長男として、家族のために自分がずっと銀行員という安定した職業でずっといなくてはいけない的な思いもありました。就職が決まった時に母親が喜んでくれましたし。母親が亡くなってからは、自分の妻や子供から、自分の旦那が、自分のお父さんが地元の大きな銀行の職員というのは、すごくありがたいとか、うれしいと言ってくれていたので、銀行員のままでいたほうがいいと思うときも正直ありましたね。25年間勤めたので、そろそろいいかなというところで転職に至ったわけですけれども。
――銀行員としての25年間って結構長かったと思うのですが、辞めることに対して迷いや後悔はなかったんですか?
後悔があったかと聞かれると、1ミリたりともないですね。自分の一度しかない人生で…まあかっこつけですけど、男のロマン的なものでしょうか。一度先代の社長に「楽楽の湯」ができる前のここに連れてきてもらって、周りの景色を見たんですね。ここは本当に何もない一軒家だったんですよ。造成から始めた事業なんですけれども、この場所でこのような事業ができることに感動してしまったというのがありましたので。
――どちらかというと、経営者というよりは温泉事業をやりたいみたいな方が強かったんでしょうか?
そうですね。独立したいというよりも、自分で本当に温泉事業がやりたくて継がせていただいたというような感じですね。自分も温泉が好きなんですが、温泉というのは子供からお年寄りまでみんな喜んでくれるじゃないですか。なので、事業としてすごくいいなと思って。そういったものが自分の仕事になるというのは、こんなに嬉しいことはないって思いました。これまで畑違いの業種にいた自分ですが、やりきれるんじゃないかと思って、行動してみました。
人に喜んでもらいたい。母親ゆずりの「おせっかい」
――お仕事や人間関係などで、熊谷さんが大事にしているものって何でしょう?
特に挨拶ですね。この事業を始めてから、常にスタッフに伝えて、自分でも気をつけなくちゃなと思っていることでもあります。温泉に入ったお客様が帰られるときには「来て良かったな」と感じていただきたいですよね。そのためには最初の入店時、「いらっしゃいませ」ですとか、お帰りになられる時の挨拶はもちろん、スタッフ同士の「おはようございます」とか「おつかれさまでした」などのコミュニケーションもすごく大事だなと思っています。
――コミュニケーションがあると、空気が明るくなりますよね。仕事をしている中で、嬉しいことってどんなことですか?
やはり褒められた時と、あとは「ありがとうございます」と感謝された時でしょうか。
自分的には、わりとお節介焼きなところがあると思うんです。だから、他人が困ってたりとか、ピンチだなって思う人がいると、無意識に力添えをしたいと感じるというか。自分が力になれるんじゃないかと思って声を掛けたり、手を差し伸べたりというのは、自分では特別と思ってやっていないのですが、そういったところで感謝をされるというケースが結構ありますかね。
――人を助けたいという思いは、いつ頃からあったのでしょうか?
小さい頃からあったと思います。おそらく母親の影響なんですかね。母親もすごくお節介焼きで、自分のことよりも人のことというような人だったんです。そんな人に育てられたので、多分母譲りのお節介焼きが染み付いているのかもしれないなとは思います。
――3人兄弟の長男とおっしゃっていましたよね。弟さんの面倒を見ていたというのも、人を助けたいと思うきっかけとしてはあるんでしょうか?
それはかなりありますね。
――ご家族との関係性についても伺いたいです。
経営者であり家長でもある人の課題…家族ともめ事が起きないコツはありますか?
転職してから土日はほとんど自宅にいないせいか、どこかに連れて行ってほしいとか、期待をされなくなりましたね。逆にあらかじめ「いつなら居るの?」って聞かれます。
たぶん期待を裏切ると揉め事になると思うので、あえて家族には期待されないようにしています。ただし何かあったときはもちろん連絡が繋がるからと伝えています。家庭に生活費を入れるために、仕事は頑張らせてもらうよ、というふうに言っているので。
――それをご家族に伝えて、すんなり「わかった」と言ってもらえましたか?
分からないです!もしかしたら納得してもらえていないかもしれませんね(苦笑)。
かっこいいと言われる生き様を目指して。老いなき将来像
――熊谷さんは、どんな人に対して共感したりとか、どんな人を好きになったりするんですか?
楽をして生きようとするのではなくて、苦労をして生きようとしている人ですね。
――やはり考え方が落ち着いていらっしゃいますね。
そうですかね。何かまたかっこつけているんでしょうね(笑)。冷静沈着でいるのが男らしいというようなものがあるので。あと、会話でも人が先に発してからこっちも発するように自然と心がけています。話されている時は黙っていますから、そこはおとなしいと思われるところだと思いますね。
――さっき、ご自身のことを怒りっぽい一面もあるとおっしゃっていましたけど、全然そんなイメージがないですね。
なら良かったです。もう一端の大人ですし、経営者としても、ビジネスマンとしても、物事を荒立ててもしょうがないと一度冷静になって、怒りっぽい自分を抑えることもありますね。ああでも、他人にというより、どちらかというと自己嫌悪になることが結構多いかもしれません。自分の思っていた、やろうと思っていたことができなかった時に、自分の無力さを感じてしまいますね。
――どんな自分でありたいと思いますか?
そうですね…自分の中では、常に挑戦者、チャレンジャーでいたいという思いがあります。自分ももう中高年になってきたので、後輩たちの手本になるようなこととか、参考になるようなこともやりたいなと強く感じますね。同時に若い人たちからパワーをもらったりとか、勉強させてもらって、これからの事業に取り入れていければいいなと思っているんです。
それから、ビジュアルとか見た目ではなくて、生き方が格好いいと言われる自分でありたいですね。昭和の日本男児的な、男はこうあるべきっていうのに対する憧れが強くて、曲がったことや、何かを押し付けられたりだとかはちょっと苦手かもしれないですね。
――そう考えると、前職の銀行は言うなればルールしかないような職業だと思うんですが、よく続けられましたね(笑)
そうですね。多少ストレスがあったんですが、常に外回りの営業でお客さんのところに行って、お客さんと常に接して話をするという仕事だったから続けられたなと思います。
――今(2023年9月現在)、熊谷さんは53歳だと伺いましたが、何歳ぐらいまでお仕事を続けられる予定なんでしょうか?
住宅ローンが75歳まであるので、75歳までは間違いなく働こうと思っています。実は経営者になった理由の一つとして、定年がないというのは大きかったんです。今は75歳までと言いながらも、もしかしたら80歳まで続けるかもしれません。健康管理のためにも、働ける体力を維持しなくちゃいけないなというのがあるので、悪くない動機だなとは思っています。
――住宅ローン完済まで、まあまあありますね(笑)。80歳の熊谷さんはどんな感じでいたいですか?
私の最終目標は喫茶店のマスターでして。土日の夜だけシェイカー振って、バーテンダー的なものにもなれたら、まあかっこいいオヤジになれるなと思っています。
――熊谷さんにとって、「かっこいい」というのはひとつキーワードかもしれないですね。
かっこつけじゃないですけど、かっこよく生きたいとか、やはり男たるものでいたいので。
――素敵じゃないですか、すごく!