自分が思い描いた仕事像から着目した事業
――近藤さんの現在の事業内容を教えていただいてもいいですか?
はい。ブランド品に対して、ガラス被膜を形成して物の持ちを良くしたり、耐用年数を延ばすというサービスをしております。加盟店も全国に増えていて、今週で2軒増えたので、今は全部で9ぐらいになります。
――この仕事をやり始めたきっかけって何かあるんですか?
この事業を始めて3年ぐらいになるんですが、当時コロナが一番流行ったタイミングで僕がキャバクラ勤めをしていて、今後の日本の情勢を考えた時にこの業界が潰れるかもしれないと感じて、何か手に職をつけて独立したいなとなんとなく感じていました。
ただその中でも、富裕層相手のサービスをしなきゃいけないなというのが僕の中にずっとあったんですよ。そこで、今持っているものに対して何か付加価値が与えられたら、これはお金になるんじゃないのかなっていう、“お金”っていう部分で始めたのが強かったです。
――その…キャバクラっていうのはインタビューを進めるうえで、飲食業って言い直したほうがいいですか?
全然キャバクラでいいですよ!僕はそこに誇りを持っていたんでね。
――すごい気迫ですね。ではキャバクラで勤めながら、富裕層向けのサービスとしてまずコーティングに着目をして、そこから修行をされたんですか?
そうです。修行は1年ほどしていました。
僕の本籍があるのが埼玉の宿根なんですよ。そこで自宅兼店舗として開業して、お客様から依頼があったら取りに行って家で施工して納品、という流れでやっていました。
学びと経験が築いた、人との向き合い方
――キャバクラに勤められていた時は、どんなことをやられていたんですか?
僕は店長をやったり、同じ系列のお店4店舗の統括店長をやらせていただいていました。理屈っぽいんで嫌われることもかなりありましたけど、心理学や自己啓発を学んだり、こういう話し方が人に刺さりやすいだったり、そういった動画・書籍は色々見て学びました。
トータルで8年ぐらいやっていたんですが、いい経験でしたね。
――人と関わることは、近藤さんにとって非常に合っていたということですかね?
そうですね。始めて2日目ぐらいで、これは天職だと思いました。僕は3人きょうだいの末っ子で人の顔色を見ながら育ってきたので、高校生ごろから自分は空気読み能力が高いなという自負があったんですよ。そういう経験を活かすことができましたね。
――近藤さんの、高い自己肯定感といいますか、ノーガードっぽい雰囲気ってすごく魅力ですよね。
いや、良く見られようとは思ってますよ。ただ、起こったこと、その時思ったことに対しては、ありのままの方が接しやすいんじゃないかなと思います。
――素の自分を出す方が、お互いにとっていいということでしょうか?
そうですね。楽ですし、その人生経験も僕にとっては引き出しだと思ってます。これまでの人生でマイナスに思うことが何もないです。
職人の経験で裏付けられた眼と掴んだ手応え
――1991年8月12日生まれ、32歳。これは私も初めて知ったんですけど、お生まれは宝石の町と言われているんですね。
そうなんです。
――20歳からジュエリー職人の道へ進んだとお聞きしました。
そうですね。初婚の時、元嫁のお父さんがジュエリー関係の職人の会社をやっていて、会社を継ぐ気満々でその道へ行きました。
――このあたりにも今のお仕事のルーツ的なものがありますよね。
今思えばですよ!
やってきた仕事が全部今に活きているなってすごく思います。
宝石づくりはイチから携わっていて、金を溶かして形成して磨いて検品して納品するまでを全部一貫してやっていたので、一通りの工程は分かります。そのお陰で、職人側の目線で物に対して向き合えるので、単純な「綺麗」よりかは、綺麗に見える理屈が分かるのが強みですね。
――その後は離婚されているんですか?
ええ、25歳で離婚と転職をして、そこが人生のターニングポイントだったのかなと。それで群馬県に来て横のコミュニティーがない中で、気分が一新されたのは大きかったかもしれないです。
――仕事に手ごたえを感じ始めたのはいつぐらいですか?
最初にお客様からオーダーいただいて納品した時、既に満足度が高かったんですよ。その時点で「あ、これはいけるな」って感じましたね。そこからトントン拍子に事が進んだので、よしこれは乗るぞと思ってからが早かったです。
僕は、トントン拍子に動く時は自分に合ってる時だっていう考え方を幼い頃からずっと大事にしていて。少女漫画に書いてあったんですけど(笑)。
――普通はトントン拍子に行く時は騙されてる時のような気もしますけど、そういうことではないですか?
ああ、全くそう思わなかったです。それに、万人ウケを取ろうと思ったところで、1割の“ウケない人”が出てくるじゃないですか。なので、そんな気にしなくていいんじゃないぐらいの考えです。どうせ誰かからは嫌われるんで、100点取る必要はないなぐらいに思ってます。
――そんな強かなマインドが、物事をいい方向へ進めたのかもしれませんね。
仕事に活きる自身のモノへのこだわり
――身のまわりの物にはかなりこだわっているとお聞きしました。
僕自身、眼鏡が必要なんですけど、その眼鏡に対しても、人によって引き立つ色や形があるじゃないですか。付けるネクタイの色によってもどんな雰囲気が与えられるかを考えるのが好きで、車もそうですし、腕時計も、眼鏡も、身につけるものはそれなりに全てこだわりがあります。
――その感覚が今のお仕事にもリンクしていそうですね。
そうですね。自分の感性を活かせるというか、どうすれば施工している物が綺麗になるのか、ユーザー側が何を求めているのかを突き詰めることで、人の想いの部分まで保護できると思っています。
――想いを守れると実感したのはどんな時でしたか?
今まで汚れるのが怖くて使えず、タンスの肥やしになっていた白いバッグが使えるようになりましたとか、心置きなく白いバッグを買うことができましたという意見があって、これは物じゃなくて、人の想いに対するサービスなんだなって気づきました。汚れるから嫌だっていう思考を除去できるのは僕らのコーティングしかないので、知っていただけて嬉しかったですね。
――施工する時にこだわっているところだったり、気をつけていることだったり、他社との違いってありますか?
これを買った人はここの汚れを防ぎたいんだろうな、と想像しながら施工しています。それに、作る際に職人はここが大変だったんだろうなというのが、もうこれだけモノを見ていると分かるんですよ。そういう所をより強くしてあげて、職人のこだわりも守りたいですね。
店舗を増やしたその先に見据える使命
――単純に汚れがつかないだけではなくて、使い手側、さらには作り手側まで意識してコーティングをされているということですよね。
そうなんです。どうしても見た目に反映がされない商売なので、これが発信したとて伝わりにくいんですけど…。でも、加盟店にもそういう考えを伝えるようにしてます。
――加盟店の方にはどういう教育やアドバイスをされてるんですか?
実際にこの事務所に来て研修していただくんですけど、例えばここで使っている綿棒1本にも、それを選ぶこだわりがあることを伝えたり、あとは僕の中にあるコーティングの理念を伝えるようにしてます。コーティングの業界にいると、硬いコーティング剤の方がいいっていう考えになりがちですが、物によっては柔らかいコーティング剤の方が、結果長持ちしたりとか、傷がつきにくいこともあります。こういった「なぜ・なんで」を全部追求している、という理念を伝えています。
――今後は各都道府県に加盟店を増やしていく予定なんですか?
はい。ゆくゆくは全国の薬局やホームセンターで売っているような製品を開発したいんですよ。例えば、洗浄しながらコーティングができるものがあれば、主婦にとっていい製品になるなって思うんです。そういう今世の中にない当たり前を、コーティング屋さんとしてブランド力が高まった時に作りたいです。
――だいたい誰でも知っている店が全国で300店舗ぐらいの規模感だと思うんですけど、その数字まで行けると思いますか?
いけると思ってます。なので、ブランド品のコーティングといえばっていうブランディングを近い将来やれる努力をしています。このサービス自体がまだ世の中にあまり知られていないので、それを広めるのはウチしかないなっていう責任もあります。